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信玄棒道を行く---歴史に学ぶ外乗

 私はクライアント組織に介入して、ITによるイノベーションを促進したり、ウェブサイトを企業経営のツール(道具)として戦略的に活用できる人材の開発、組織の開発をおこなうというあまり前例のない領域でコンサルタントをやっております。

 変わりたくない、努力したくない保守的な人々を相手に進める業務の精神的負荷は大きく、ストレスから来る食欲の爆発と不規則な生活の結果、5年間で20kg以上肥り、鬱っぽさが続きました。それらを改善し、子供のころからの夢を実現すべく乗馬を始めたのが3年前のことでした。

 すぐに効果は出て、週末のレッスンを目指して生活スタイルは一変し、酒量も食欲も減っていきました。その中で「乗馬ライフ」を手にし、田中さんの記事を読みました。過去の旅行や歴史小説から思っていた疑問と乗馬が脳内で連動を始めました。

 レッスンへの取り組みは過熱し、馬と人間のかかわりの歴史へますます興味が膨らんでいきました。もともと中国をはじめ外国の広い草原や山道で、初心者でありながら外乗を楽しんでいましたので、八ヶ岳の麓で長時間の外乗ができることを知ったときは心が踊りました。武田信玄が騎馬軍を仕立てて、遠州浜松三方ヶ原で徳川家康と戦ったこの町から小淵沢までの200kmの道のりは遠くないことに気づき、これまでに2度の機会を得ることができました。

 裸馬クリニック、信玄棒道を行く外乗での田中さん、塚本さんとの会話は示唆に富み、当時と現代の馬術や馬具の違い、馬そのものの種類の違いなど、現代の信玄棒道であるインターネット網の活用を促す立場の私には毎回大いなる発見があります。

 単なるスポーツとしての乗馬にとどまらず、教養として馬を知ることのできるFRCは、週末の狭い馬場とはうってかわって、私の仕事にとっても貴重な機会になっております。八ヶ岳防火帯で雲ひとつない富士山、北岳、甲斐駒ヶ岳、八ヶ岳を鞍上から見ることが、この夏最高の天気という日にできたことは今年最大の天からの贈り物になったに違いないでしょう。

生田明子(いくた・あきこ) 50歳、浜松市、コンサルタント

八ヶ岳防火帯を駆け上る

八ヶ岳防火帯を駆け上る

信玄の棒道で、左から2番目が筆者

信玄の棒道で、左から2番目が筆者

裸馬騎乗

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